友愛の証
バングラデシュにいると、日本と異なることが山のようにある。
ごはんを手で食べるとか(実際には富裕層のほとんどはスプーンやフォークを使っていたし、客人には出してくれるけど)、
時間にルーズとか、服装のルールが場所によって全然違うとか、スコールがすごいとか、、、
文化や思想、気象などとにかく様々なことに違いに驚かされるがその大半にすぐに慣れた。
それは、外国人であるから必ずしも徹底的に守らなくてもいいとかそういった部分もあるが、何やりも
「ここはそういうところだ」というバングラデシュモードがONになるともうしょうがないよなぁとなる。
だから、日本では虫とは極力距離をとって暮らしていきたいと思うけど
バングラデシュで寝床に虫が出ても気にせず寝れる
(もちろん田舎の話だし昔の話だからどこもかしこも虫だらけとかではない)
[hr]そんな感じで多くのことは、この特殊
モードで逆に楽しいくらいの感覚で過ごせるのだけど一つなかなか慣れないことがある
僕が中学生の頃バングラデシュにいたある日、父の親友夫婦とその子ども2人家族で外食に行った
会がお開きになり、それぞれが駐車場の車へ戻っていった際にふと後ろを振り返ると
父親と親友が手を繋いで歩いていた
その時、なんだか見てはいけないものを見てしまったような気まずさを覚えた
この謎はすぐに解ける
この帰省の間に、お手伝いさんたちと遊びに行った
普段は厳格(で、雇い主である)父がいるため
かなり落ち着いているお手伝いさんたちも
僕のみの時はめちゃくちゃテンション高く接していた
その際、仕切りに僕と手を繋ぎたがるのだ
いずれも男性のお手伝いさんである
ここから察するに
イスラム圏の風習がインド等の南アジアの風習かわからないが
「仲がいいことの証として他意なく手を繋ぐ」という文化なのだとわかった
そこに気がつけば、意外に町の至る所で手を繋いでいる人がいるなぁと思うようになった
今もバングラデシュに帰ると、ナチュラルに手を繋ぐことになる。
帰省直後だとまだドギマギするし慣れないなぁとおもうのだけど、
バングラデシュの習慣の中でもかなり好きなものだ
自分史上最も好きな本として多くの人に布教しているSF『新世界より』(貴志祐介)では、
人間同士が争い攻撃を与えることを防止するために同性間のスキンシップを推奨する教育を行うというシーンがある
ガッキーと星野源の『逃げ恥』でも
心の癒しのために「火曜日はハグの日」として
意識的にハグをするというルールを設けていた
とにかく、人間にとって他者との友愛のスキンシップって精神にめちゃくちゃ大事なんだと思う
さて一方で、ここ日本では「友愛を表現するスキンシップ」というものがあんまりない気がする
子ども同士が手を繋いだりハグしあったりとかはあるけど、仲良い同士がなにかスキンシップを取るということはあまりないように思う
距離が縮まると敬語ではなくなったり、仲間内だけで伝わる言葉ができるとか
お決まりのくだりを作るとか
あとは、あえて(怒らないことを分かって)相手を蔑む冗談を言うとか
お互いの友愛・仲の良さをこんな言葉の細かな使い方・ニュアンスで確認しあっている気がする
風情あるような回りくどいような
(さすが、千年前に31文字の和歌を送り合うことで愛を確かめ合った人たちの子孫だな)
心のケアには、やはりスキンシップの方が直接的でいいのではないか?と思わなくもない
友愛の証に手を繋ぐ
そんな文化が日本に浸透したらもう少しだけみんなの笑顔が増えるのかもしれないな
と思ったり