ネクタイも結べない(けど社会人にはなれるらしい)

ギリギリ社会人になれた人の日常

人に優しく

優しいにんげんになるのは、なにて難しいんだろう。

 

 

この間、電車で席を譲ったら飴をもらった

少し恥かしかったし、そもそも座らないべきだったなぁと思いながらも好意を好意で返してもらえることがシンプルに嬉しかった

 

切符の購入に困っている人がいたり、乗る路線に迷っている人がいたからできる範囲で助けてあげた

なにかお返しがあるわけではないけど、その後の数時間はなんとも言えない満足感がある

駅や電車ではなぜかいい人でいられる

というか、その場限りの人には素直に優しさを分け与えられるのだろう

 

その瞬間の困っているを解決できればいいわけだから、問題が単純だし

そもそも恩恵を期待していないから

 

だけど、既存のコミュニティの中で優しくすることが年々むずかしくなってきている

相手との利害関係が複雑になるほど、一つの行為がもつ意味が一つではなくなり

何をするのがベストなのかが堂々めぐりになるから

 

というのは建前で、本当は相手への想いが長年積もっていて

素直な優しさを発揮できなくなっているのかもしれない

 

 

相手が喜ぶことや即時効果ができることが、必ずしも優しさではないけど

自己肯定感やコスパが重要視されるようになって

わかりやすい優しさに重きが置かれるようになっているのだろう

 

 

わかりやすい優しさを与えられないなら、せめてきちんと意図や経緯を説明して

罪滅ぼしをしないといけない

 

そう思えば、もう少し優しいにんげんになれるような気がした