ネクタイも結べない(けど社会人にはなれるらしい)

ギリギリ社会人になれた人の日常

人に優しく

優しいにんげんになるのは、なにて難しいんだろう。

 

 

この間、電車で席を譲ったら飴をもらった

少し恥かしかったし、そもそも座らないべきだったなぁと思いながらも好意を好意で返してもらえることがシンプルに嬉しかった

 

切符の購入に困っている人がいたり、乗る路線に迷っている人がいたからできる範囲で助けてあげた

なにかお返しがあるわけではないけど、その後の数時間はなんとも言えない満足感がある

駅や電車ではなぜかいい人でいられる

というか、その場限りの人には素直に優しさを分け与えられるのだろう

 

その瞬間の困っているを解決できればいいわけだから、問題が単純だし

そもそも恩恵を期待していないから

 

だけど、既存のコミュニティの中で優しくすることが年々むずかしくなってきている

相手との利害関係が複雑になるほど、一つの行為がもつ意味が一つではなくなり

何をするのがベストなのかが堂々めぐりになるから

 

というのは建前で、本当は相手への想いが長年積もっていて

素直な優しさを発揮できなくなっているのかもしれない

 

 

相手が喜ぶことや即時効果ができることが、必ずしも優しさではないけど

自己肯定感やコスパが重要視されるようになって

わかりやすい優しさに重きが置かれるようになっているのだろう

 

 

わかりやすい優しさを与えられないなら、せめてきちんと意図や経緯を説明して

罪滅ぼしをしないといけない

 

そう思えば、もう少し優しいにんげんになれるような気がした

SNSをやめてみた

ただ思いつきでSNSをやめてみた。

といっても、アカウントは残したままアプリを消しただけだので

最悪、アクセスできるという保険をかけた状況でのSNSデトックス

(やや守りに入っていてダサいけど)

 

もともと投稿はほぼしない、ROM専のような使い方だったが

特にTwitterはこの10年くらいリツイートtop200を毎日全て読むくらいにはずっとみていたので急に世間の話についていけなくなりそうでやや不安ではある

 

リアルで知り合いの人とのSNSはあんまりチェックしていなかったので変化値はあまりないがジャニヲタアカウントは1時間に1回はチェックする頻度でみていたので

ジャニーズ全般のトレンド感についていけなくなるそうだなぁと感じている

 

せっかく、SNSを見なくなったことで空いた時間を有意義に使いたいが

結局は睡眠時間が長くなるとか、別のwebサイトを見ちゃうとか、、

それこそ1週間後にはアプリを再インストールしてSNS再開している気もする

 

SNSを絶ったといってもLINEはやっているし、連絡を常に見ている状態は変わらないので脱スマホの状態からは脱せていない時点であまり生活は変わらない気もする

 

せめてもの抵抗で、有意義なことをしたという足掻きで久々にブログを書いている

 

本当に有意義なのかわからないが

(結局、他人とのコミュニケーションをとりたいという欲求を抑えられていないのかもしれない)

 

あの頃とこのごろ

ここ2回くらいあまりに雑なブログと化していたのでそろそろ真面目に文章を書こうと思う。

 

自分はきちんと就活をしていないためか「自己分析」ということをやったことがない。

全くないと言ったら嘘になるが、2020年代に大学を卒業した日本人社会人平均よりは確実にしていないと思う。

1年ほど前、自己分析の初歩の初歩みたいなものを教えてもらった

 

「他人と接していてイラッとするポイントが自分の得意なこと、長所」らしい

 

自分では簡単にできることなのに相手ができない・やっていないと気になってしまうらしい。

 

例えば、説明上手な人は説明下手の話を聞きいているとイライラするし

マナーやルールの知識がしっかりと身についている人はマナー違反ばかりの人に対して呆れてしまうとかそういったことだろう。

 

自慢じゃないけど、あんまり人にイライラしないタイプなので

この法則で自分の得意を考えるの難しいなと感じるのだけど、「自己分析」という言葉面からいかにもめんどくさくて堅苦しそうな作業のとっかかりとしてはいいなと思う

(もっとかわいく「じぶんたんけん」みたいな名称ならやるきでるのに。もしくは中二病全開で「鏡面接触」とか)

(全然関係ないけど「ガクチカ」という言葉に聴き馴染みがなくて、未だに耳にすると「地下1階学食」みたいなイメージをしてしまう)

 

 

ここ数年みた映画の中でもっとも鑑賞中にこころの琴線に触れたなと思うのが

『14歳の栞』というドキュメンタリー映画だ。

(ハライチの岩井さんが冒頭5分の馬のシーンを除いてめちゃくちゃ面白いとラジオで言っていて観た)

 

実際の中学2年生の1クラスに密着して、クラス全員30人近くがフィーチャーされる。

クラスのお調子もの・大人びた学級委員・サッカー部のエース・帰宅部の秀才・以前いじめられていた生徒・引っ込み思案でまだクラスに馴染めていない子・学校に居場所がないと感じている子・保健室登校をしている子

 

告白するシーンが撮れていたり、ドキュメンタリーとしてもなかなかミラクルが起きているのだけどそれよりもなによりも、30人近くの中学生がその時の素直な感情や自分の学校でのポジショニング、普段意識していることを語っている

 

みていてちょっと恥ずかしくなるくらい、自分にとっての「あの頃」がそこに映っていた。

30人の中にピンポイントで応援したくなるというか、報われて欲しい・この子の気持ちに気づいてあげてほしいと強く思う生徒が何人かいた。

きっとその子の考え方とか立場などが自分自身に近くて投影してしまっていたんだろうなと思う

 

複数人でこの映画をみて、感想をいいあったら全員が共感した生徒が分かれるんだろうなと

社会人になって、しばらくたってしまってわりと楽しかった思い出のみが残っているけどあの頃はあの頃で日々悩んでいたしちょっと苦しいこともあったことを思い出して

変わったことと変わっていないものを含めて抱きしめたくなるようなそんな映画だった

 

逆に、観ていて全く共感できない生徒も何人かいたのだけど、

そういった身近にいただろう「交われなかった同級生」の行為や性格の理由の一応の答えみたいなものを知れた気がした

 

自分があの頃想定もしていなかった考え方でそんな態度だったのかと

そう思うと、ちょっと許せないと思ってしまいそうだった態度も(理解はできないけど)許そうと思おうと感じられた気がした。

 

そう思った時、自分も許せないなぁとか嫌だなぁと思う気持ちがそこそこあったんだなと思い出した。

 

 

大学生になって、「人の行動には理由がある」「どんな性格の人も接し方で変わる」と日々のアルバイトで感じるようになってかなり性格がマイルドになっていたが

かつては結構イライラしていたなと

 

(まぁ、今も自分としてはやさしいと思っているが客観的には全然違う可能性あるのだけど)

 

あの頃イライラしていたのは何に対してだろう。。

 

グラウンド使用許可を1週間前に申請していたのに、物理科のサッカー部顧問に練習試合するからの一言で陸上部は校舎周り走っていろと言われた時は

こういう大人にならないようにしようと思ったなと10年ぶりくらいに思い出した

 

毎回生物の時間に、白衣の着方でずっと下手ないじりをしていたクラスメイトに

絶対にイライラした感じ出さないで接してやろうと意地になってしばらく毎日笑顔で挨拶していたなぞの嫌がらせしていたのも今になったらいい思い出かも知れない

 

文化祭に一生懸命になっているようなやつは将来を見据えていないバカだと言う数学科の老教師を崇拝する生徒一派が幅をきかせてきて、絶対このこたちより楽しい人生送ってやろうとなぞの決意をしたなと8年越しに武者震いをした

 

さて、これらを総合すると自分の長所はなんなんだろう。

強めの思い出のみした思い出せていない上に母数3だと全然分析できていない気がするが少なくとも「イライラしても感情的な振る舞いをしない」のは得意なのかも知れない

 

僕の得意なことは感情のコントロールです。

(潤滑油なみにありふれた答えな気がする)

日焼けサロンにいってみたい

「肌の色」というものがとてもセンシティブな話であることを頭で理解しているけど

ここ日本で暮らしているとイマイチ実感が湧かない

 

自分自身がハーフだけど、アジア系ハーフでしかも何故か色白(なんなら顔色が悪い)に分類されるタイプなので尚更そこらへんの感覚にうとい気がする

 

なので、以下の文章はシンプルにおしゃれの一環として、自分が日焼けしたらどうなるんだろうという興味でしか書いていないことを強調した上で書くのですが

 

日焼けサロンにいってみたい

 

(前書きの方が長い)

 

 

人生生きてきて、日焼けをがっつりしたことがほぼないと思う。

 

小学校のころサッカーの合宿に行った時も1人めちゃくちゃ日焼け止め塗って対策していたし、部活以外で積極的に外で活動をするようなタイプではない

 

唯一、フィリピンに行った際に皮がめくれるほど日焼けをしたようなうっすい記憶が残っているが小学3年生くらいであんまり覚えていない。

 

純粋に、自分日焼けしてた方が似合うんじゃないかなという気もしなくもない

3年近く髪の毛も染めていないのでいっそ身近に丸坊主にした人もいるし

 

日焼け&茶髪にしちゃおっかなぁと思ってたのに、夏が終わろうとしている

 

今から日焼けするのもちょっと気恥ずかしい気もするのだがどうしよっかな

 

 

結局、一回やったとしても継続して行くのが面倒になって続かなそうだな

なにしろ、ファッションにこだわることに諦めかけているのになとも思う

 

いくなら来年の夏前にしようかな。

 

逆に12月冬ど真ん中で日焼けするのも面白いな

映画と

趣味はなんですか?

 

意外に返答に困る質問だなぁといつもちょっとだけ悩む。

 

社会人になるまでは、バイトが趣味みたいなやや痛い大学生だったし

 

その前は完全にジャニヲタだった。

今もジャニーズを応援しているが、半分自分のキャラクターとして利用している感もあるし、応援熱のピークは超えてしまった気がしていて(写真集を20冊近く購入していないし)趣味ではないかなと思っている

 

小中学生の頃は読書だったが、今は年間10冊読むかどうかというレベルなので、うーん、、、

 

ということで消去法的に「映画鑑賞」ということが多い

 

映画鑑賞。

 

日本人の年間平均劇場鑑賞数が1.3本と聞くとたしかに自分の趣味といっていいのかなと思うが、そこまでめちゃくちゃ夢中という感覚はなく

 

特に、映画好きです!という友人などと話すと熱量も知識量も桁違いでいつもちょっとだけ緊張する(もちろん、楽しいのだけど)

 

映画や小説は、その作品を見たか(読んだか)どうかで

その話ができるできないが完全に二分しちゃうからか、鑑賞数とかのマウントになりやすいんだろうなぁと思う

(サッカーファンとかなら、1試合見逃しても全く話にならないということはないだろうし、、)

 

あとは、映画はその作品単体というよりも

それまでの監督や出演俳優のキャリアやオマージュ作品の知識、

ジャンル映画ならジャンルの流行りとか映画史全体の流れの話、

世界情勢との関係やアカデミー賞など各種賞レースの結果、、、、

 

みたいな大きな流れの中での"作品"・周辺作品群の中の"作品"みたいな部分も強いような気がしてそれらを知らずに語ることがややはばかれるような気もして

 

ちょっと好きになればなるほど語り辛くなっちゃう、、、気がする

 

中学生のころ、限られたお小遣いの中で毎週末レンタル屋さんに何を借りるか吟味するために2-3時間迷っていた、あの頃

ただただ、この映画おもしろーーーーってなったあの感覚みたいに純粋に楽しんで

そのままの勢いで話せた方が楽なのになぁとも思う

 

下手に、批評家とかTwitterやブロガーみたいな含蓄があって文章力の高い人の

感想を見て聞いてしまうと気軽に感想も持てないよなぁと思いつつある

 

(全然関係ないけど、インターネットが発達した結果、子どもがプロの技量を見ることが容易くなったから昔と比べて自信が持ちづらくなったみたいな文をどこかで見かけたけどその気持ちはめちゃめちゃわかる。昔ならクラスにいた虫博士とか絵がうまい子とかがすぐyoutuberとかプロの人と比べられちゃうと厳しいよなと)

 

 

周りの評価や批評家の感想に影響を受けずに好きなものを好きというの大事だよね

(the令和みたいな浅い感想だけど)

 

 

といっても自分の好きなタイプの作品はある程度わかっている

好きな要素はざっくり4つ

ジュブナイル系(少年時代を完全に拗らせているのでジュブナイル系に理想の少年時代を投影しているのかもしれない)

 

② 伏線回収系 (腑に落ちるこの感覚を体験するために劇場に行っている)

 

③ SF / ファンタジー(非日常っていいよね理論)

 

④ ミュージカル(シンプルに歌って踊るのって最高だよね♪)

 

 

小説でいえば

新世界より』(貴志祐介)は、①②③の要素

『百年法』(山田宗樹)も②③の要素

ハリーポッター』(J・K・ローリング)は、①③

がある(まぁ、大体の作品①~④のうち1つくらいはある気もするのだけど、、)

 

映画でいえば

リトル・ダンサー』は①④

インターステラー』は②③かな

 

とだいたいこの要素あればすきだなと思う

 

なので、この要素に当てはまる作品でおすすめあればぜひ教えてください。

 

Netflixのおすすめ機能は、

アカウントを分けずに妹と恋人と共有利用していたら

3人の好みが融合した結果まったく当てにならなくなってしまった

(逆に、おすすめ60%代だと逆に不安になるし、おすすめの%が出ていないとマッチしてないのかなぁと最初から思うから、あれおすすめ80%以上のみ表示とかにしてほてほしいかもしれない)

 

 

サブスクでいろんな映画をスマホで1人で見ることも増えて

映画を見て1人感想を抱いて寝ることが多くなった

昨今は、みんなで映画館にいくのもハードルが高い世の中の事情もある

 

でも、金曜ロードショーとかで映画見ると

Twitterでいろんな人とリアルタイムで反応が見えたり

そのあとに感想いいあうのが楽しいなと思った

 

映画自体も面白いけどやっぱりそのあとのおしゃべりとかが

メインディッシュだよなぁと

 

いい意味でマウントとかにならずに気楽に映画とかの

観賞後感を共有できるスペースがあればいいのになぁ

 

おわり

おひさま

一人暮らしをはじめてからしばらく

ほぼ毎日6時台に自然と目覚めていた。

休みの日も二度寝ができないほどで

 

一人暮らしをすると人間性まで一気に成長するんだなぁと感動していた

 

3週間ほど経ったタイミングで部屋の家具を追加した

 

PCとモニターで机がいっぱいになってたので

折り畳み式の小さな机やホットプレートとカーテンを買った

 

翌日から朝9時までぐっすりになった

 

 

陽の光ってすごいんだなぁとシンプルに思った。カーテンでこんなに変わるのかと

 

実家もシャッター式だったのでカーテンより強い遮光性があったわけで

 

自分が毎朝陽の光に晒されていたのは人生でも数少ない期間なんだろうなぁと、、、

 

 

カーテンを開けておいた方が朝目覚めやすいけど、カーテンを開けとくと夜がっつり外から見えちゃう

(真横に会社のビルがある)

 

うーん悩ましい。

一旦、24時までカーテンしめて、

眠る直前に顔の横のカーテンだけ開けているが効果あるのかしら?

 

そんな感じで日々二度寝をしながら生きている

 

遅刻しないようにしないとな。

わかりやすく、相手が許してくれるタイプだと遅れるのでようないよな

 

おひさま、僕の顔を朝だけ照らしてください

【解説】集中すると何も聞こえなくなる

集中すると、一切の音声情報が遮断される

この症状は幼稚園生のころからあって、

母親曰く本を読んでいて反応しないことはよくあったらしい

 

ここで問題なのは2つ

 

1に、集中のタイミングをコントロールすることができない

他の人と会話しててもちょっと気になることを考えたり、ちょっとした作業をした瞬間に始まってしまうことがある

他の人からすると急に無視されたみたいになるっぽいのだか、全くの無意識のうちにやってしまうので本当に申し訳ない

 

2に、ここでいう集中が決して「凄まじい集中力」を伴うわけではない

いわゆる一般的な集中力の範囲内なので

高い思考力や早い作業効率とかはない

ただ聞こえないだけなので天才のそれとは全くの別物なのである

 

ついでに、この集中モードに入ると、

そのこと以外は何もできなくなっちゃうので

直前までにやっていたことの記憶などは遠く彼方に飛んでいくことなどを踏まえたら絶対に効率が悪い

 

なんなんだこの症状は、、、

 

ついでにこの症状の派生で

「音声後追いシステム」というのもあって

集中モード中に話しかけられたことは、どうやら耳を通って一時的に脳内の記憶に蓄積されているらしく、集中モードが終わったあとにその音が記憶の箱から認識の箱に運び込まれて聞こえてくるということがある

 

集中モードが終わるまでの最大数分の時差で聞こえてくるのだが、なんかさっき言われてたことなんだろうなぁという感覚はあって

その言葉に反応すると

さっきは無視したのに今更答えるより面倒臭いヤツになる

 

という事象が家族間で多発しまくり、

よく妹に「他人の話をちゃんと聞きなさい」と注意されていた

 

 

外でより家族といる時に多発することを考えると、安心している時とか素のとき発生しやすい気もするが、悪意を持って起こしている訳ではないことを許してほしい

 

この症状が起きていることに自覚がないことも多くて最近まで仕事を一緒にしている人にはあんまりやってないと思ってたのだけど

 

「聞こえてない時は話しかけないようにしてる」と急に言われたことから会社でも結構やってしまっているのかもと思っている

 

 

 

ということで、長い言い訳を書きましたが

本当に無視をしている訳ではないので

 

こいつ聞こえてないなと思ったら注意を引くなどして現実に強制的に戻してくれると嬉しいです。

(最近は他の世界に行かないように会議中はパソコンの画面を閉じて会話のみに集中するようにしてつもりです、、、)