再提出「大人になるってなんだろう?」
中学3年生の3学期まで、授業中に居眠りをすることなく非常に真面目に受けていた。
普段真面目に授業を受けていたからこそ、めずらしく適当にやって少しだけ後悔している授業がある。
中2のある日。現代文か何かの授業で担当者が急病で来ず、
突然古文の担当者が一回だけ特別授業という名の1回分の授業をどうにか保たせるという日があった
ひらがなの「し」を僅かに先が傾いているだけのほぼ直線として板書するそのおじいちゃん先生は、その45分を(中学の1コマは、50分間だった気もする)自習ではなく特別課題の「大人になるとはどういうことか?」という作文を400字原稿2枚以上で書く課題にあてた
課題を書き上げた人から自由時間になるシステムで、その時は面倒だなぁと思った
後日、全員の原稿に丁寧に赤文字で結構な量の感想を書いて返却してくれたことをかんがえるとかなり手間がかかっている上に
中学2年生に「大人になる」ことを今一度突きつけた先生は非常にいい先生だったなと思う。
当時、その優しさに気づかなかった自分は
姉の小学校の卒業式かなにかで姉の担任が言っていた「人は親が死んだ時はじめて真の大人になれる」みたいな話をそのまんま頂戴して書いた記憶がある
(中学生になったら少しずつ「自律」しなさいという意図だったのだろう)
ひとさまの言葉を意図もわからず頂戴した文章は、明らかに見当違いなことが書かれていたと思うしスピード重視で書いたその粗雑な提出物に後日赤字で「本当にあなたは保護者が亡くなるまで大人になれないのでしょうか?」と書かれて戻ってきて心が痛んだのを鮮明に覚えている
ということで、約10年遅れの再提出をしたいです。「大人になるってなんだろう?」
名言や格言などを連発することに少々の気恥ずかしさというかダサさを感じて抵抗があるが
何年か前に知って好きな諺がある
謙虚であれ、あなたは土から出来ているのだから。
気高くあれ、あなたは星から出来ているのだから。
セルビアの諺らしいのだが、ビッグバン宇宙論の元素合成に通ずるものがあると何年か前にTwitterややバズりをしていた。
恐らく、周囲の人への心遣いを忘れずに慎ましやかに生きながらも自分自身を大切にしなさい
的な意味合いだと思うのだけど、ここに大人になることの真髄があるように感じている
小学6年生のころ、身長160cm以上ありハーフだったから将来絶対モデルになれるわと思っていた。勉強せずに成績も良かったし、運動もできたし、当時感じていた「無敵感」はいつのまにか消えている
とは言っても、
高校生の時の文化祭で優勝したときも
大学生でバイトで評価してもらえたときも
自分の「"すごさ"」みたいなものに酔ってたし、主人公感すごいなと一瞬でも思っていた
一方で、浪人時代や社会人1年目当初の
自分の代わりなんて無限にいるなと思う
世の中に置いていかれるような「虚脱感」を強く感じる時期もあって、自分なんて必要ないなと強く感じていた
「自己肯定感」にちょっと似てるけど
なんとなく違う
この
「世界の主人公は自分ではないけど、人生の主人公は自分しかいない」
という矛盾した状態を受け入れられることが大人なんじゃないかなと今は思っている
幼きころの、自分でなんでもできると思ってた感じや厨二病の誰も気がついていないけど自分は凄まじい能力を隠し持っているみたいな
世界の主人公だと信じてたり諦められていない気持ちも落ち着き
一方で、それでも自分の日々の生活や今後の生きる道を作り出すのは自分しかいないという当たり前の事実に気づいて動ける
こんな状態が理想的で、大人だなぁと思う。
人類76億分の1でしかない自分とそれでもオリジナルはたった1つしかない自分
このやや複雑な状況を受け入れて生きていかなくちゃいけないなんて大変だなぁ
大人であることだけが正解ではないが
大人である状態に落ち着けることが理想だなぁと思う
なんか、あんまり理論的ではなく
論を積み重ねた結果ではないけど
今何となく大人になるってこういうことなのかなぁと感じている
さて、自分はどれくらい大人になったんだろう
まだ、主人公と思っていたり
一方で気落ちする時も多くて忙しない気がする
「気高く、謙虚」そんな人に少しでも近づけるように、、、